2017年5月14日日曜日

もうおねえさんじゃないみたい。

ゆうべ、地元の駅のバス乗り場で路線図を確認していたんです。
きょう、バスに乗る予定があったのですが
ふだん、バスには乗り馴れないので、ちょっと事前に見ておきたくて。

そうしたらね、
「おねえさん、おねえさん」
って、男性の声が聞こえてきました。
数回聞こえて、さらには、「なに見てるの? ねぇ、ねぇ」って
すぐそばまで来られて、さらには「おねえさんってば」って言われて、
ようやく、わたしに声をかけているのだと気づきました。

いやぁ、驚きました。
わたしったら、いつのころからか、自分が
おねえさん、と男性から声をかけられる対象だと
思わなくなっていたことに気づいて、びっくりしたんです。

しかもね、バス乗り場の表示板は、煌煌と灯りがついていて、
男性に顔を見られないよう、すぐに下を向いて
足早に立ち去ったですよ。
それもびっくり。
わたしったら、おねえさんじゃないって、バレたくない、と
とっさに思ったのだと思う。

さらに少し時間が経って……
もしかして後ろ姿、つまり服装が
おねえさんだったのかしら、と思ったら
それもなんだかちょっと恥ずかしかったの。

美魔女とかアンチエイジングとか、そういうの
全然興味がないどころか、
むしろ、アンチ・アンチエイジング派(笑)で、
年相応がいちばん、と思ってきました。
いまでもそう思ってると思ってる。

だから、自分をおねえさんだと思わなくなっていても
当たり前。
それなのに、そのことに気づいて、ちょっとびっくりしたのは、
どういうことなんだろう。
わたしはまだおねえさんなのに、勝手に自分をおねえさんじゃない、って
決めつけていたことにショックを受けた、ということ?
なんか、ちょっと自分で勝手に諦めちゃってる感じがして、
そのことに落ち込んだのかしらん?
ということは、年齢を重ねておねえさんじゃなくなることは、
諦めに相当する、ということなの?
でもそれって、ちょっと違うと思いたい、と思ってきたはず。

とはいえさ、たとえばもしも、「ねぇ、ねぇ、おばさん」って男性に
呼びかけられたら、やっぱりちょっとショックだと思うの。

なんか、ややこしいけれど、
自分の見た目、それから自分が思う自分の呼び名、
そして、そうありたい自分、これがマッチしてくるといいのか?
諦めるとかじゃなくて、なにかいい具合に、
すっと年齢を重ねていく自分を受け入れて、
認められて、自分は自分、というふうに、なれればいいのだけれど。

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